6年間家から出られなかった

[アトピー・ノート] 赤城智美

2013年12月03日 [火]

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私は、小学校の卒業式を目前にして、家から出られなくなった。理由はたくさんあったけれど、一番大きかったのはアトピー性皮膚炎が悪化したことだと思っている。自分でも落ち着いたら学校に行けると思っていたのに、なんだかんだと浮き沈みがあって、その後6年間家から出なかった。大好きなおじいちゃんのお葬式もいけなかった。
毎日時間が有り余っていて絵ばかり描いていたら、お母さんがアクリル絵の具や大きなスケッチブックを買ってくれた。勉強しろとか学校行けとか何も言わなかったし、小学生の頃あれだけうるさく薬を塗れとか、抗アレルギー剤を飲み忘れるなとか言っていたのに、外に出なくなったら何も言わなくなった。
定期的に薬をもらいに行ってくれていたみたいで、保湿剤とかいろいろ必要なものがいつもあって親に隠れてスキンケアしていた。今思うとなんで隠れてやっていたのか、よくわからない。
お母さんがパートに出てお金を貯めてくれて、私が18歳になったとき大検を受けてみたらと勧めてくれた。受かったら美大に行けばいいと説得された。それでちょっとやる気になって勉強を始めたら、勉強が全然できないという現実に今更ながら気づいてしまった。正直にそのことを話すと、パートの日数を減らして英語と小論文の勉強をいっしょにやってくれるようになった。
大検にはパスしたけど、美大に入るのは3年もかかってしまった。油絵を描いていて一度アトピーがひどくなったことがあって、何か刺激がダメなのかなと思う時があるけれど、少し経つと回復するので、まあぼちぼちという感じでやっている。
お母さんには面と向かって言えてないけれど、すごく感謝している。

(交流会で出会ったIさんの話)

赤城智美

NPO法人 アトピッ子 地球の子ネットワーク専務理事/事務局長。
アトピー・アレルギー性疾患の患者とその家族、子どもや女性の暮らしを支援することをとおして、人と自然が共生し多様な価値を認めあい、誰もが共に生きることができる社会の実現をめざして活動する、発足18年目のNPO法人。電話相談、調査研究、イベント企画立案と実施、講師派遣、執筆、電話相談窓口開設や開設後のサポート、他商品開発や表示についてのアドバイスも行っている。 Webサイト「食物アレルギー危機管理情報(FAICM)」運用中

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