母からみたアトピーの僕 後編

[アトピー・ノート] 横井謙太郎

2014年7月18日 [金]

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食事、洗濯、洗剤、水、空気、掃除…自分の出来る限り100%のことをやってきた。ただ今振り返ると、この頃やることに追われ、ケンの辛い気持を受けとめてあげられていたかどうか分からない…話をもっと聞いてあげられる母親で有りたかった。
しかし、私には余裕が無かった…自分自身、強く生きるため、自分の世界を保つために仕事も持った。(でなければ、超過保護な心配人生の親で在ったかも知れない!)

仕事の成果を上げること、目的を持って生きることで私は強く生きようと決めた。もちろん、食費が高かったこともある。自分が駄目になったらケンも駄目になると思った…

そして、その頃、私は自分を責めていた。もしかしたら私が食べてきた物が悪く、私の身体の毒素が原因なのではないかと内心ずっと思っていた。

そのことは、成人した息子に伝えたことがある。ケンは軽く鼻で笑うように「そんなことは無いヨ!お袋のせいでは無いよ」と言った。私はそれが事実がどうかわからないけれど、そう言えたこと、言葉を交わせたことが自分を楽にした。

私はケンには、厳しかったのだと思う。アトピーのない妹と同じように何でもやらせたし、アトピーを理由に、何かが出来ないとかやりたくないとか、辛いと言うことすら言わせてあげていなかったと思う(ある意味で私の失敗かもしれない)。

ただ、本人もそれが当たり前だったし頑張りやの気質があったから、これでも良かったのかも知れない。もうひとつ、ケンが育つ過程で大事だった事がある。それは仲間!!仲間!!仲間!!気の合う家族同士の付き合いは、私とケンにとって大きな支えとなった。

親同士が仲良くすると、子供たちも喧嘩はするが仲良く遊ぶ!アトピーであろうとなかろうと、コロコロ転がって遊ぶ!私はその頃の仲間に感謝している。人との出会いが支えとなり、また私にとって本との出会いも支えとなった。川合隼雄著・心の天気図・心理学、子供の育て方、過保護、放任等の本をよく読んだ。何か、いつも答えが欲しくて…

今、彼の活動を見るたび私は泣く。こんな気持だったのねとか、こんな風に考えているのねとか。それにしても、未熟な親だったのに良くまあ無事に優しく強く育ってくれたものだと思う。

成人した頃だっただろうか『アトピーは自分で治す』と宣言した。学生、社会人になるにつれ外食も多くなり、母の手からは、離れて行った。息子はアトピー以外の心配を親にかけたことがない。
小さい時にあれだけ、苦しみ悩み、そして乗り越えて来たからにはきっと、心には素敵に光っている何かを持っているに違いない!私は息子を誇りに思う。

横井謙太郎

NPO法人アトピーを良くしたい代表
生まれつきアトピー性皮膚炎があり、重度の症状に苦しんだ時期もあったが、現在は軽度まで改善。様々な治療を試し、今度は自分が支えになりたい「100人のアトピーの人がいたら、100通りの良くなり方がある」との想いからNPO法人を設立。アトピーサロンの定期的な開催、アトピーの人たちの夢を叶える「ドリームウィッシュプロジェクト」をはじめ、最近はメンタル面のサポートとしてカウンセリング事業にも注力。
NPO法人アトピーを良くしたい(http://atopyrecording.org/)

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